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長い間ありがとうございました

ようやく落ち着いてきたので記しておく事にします。

先月28日午後1時過ぎに、祖母が亡くなりました。
94歳でしたから、天寿を全うしたとも言えるでしょう。
長い長い間お疲れ様でした。そしてありがとうございました。
   
   
祖母は矍鑠とした女性でした。
盆栽と俳句が趣味で、幼い頃の僕にとっては「厳しい人」という印象があります。 
 
昨年夏に入院して、それ以来ずっと寝たきりでした。
年を越えるのは無理だろうという診断だったのが、病院のベッドの上とはいえ、
今年の年末まで永らえたのですから、強い人でした。
様子は母から事ある毎に聞いていたので、祖母が入院以来覚醒しているより眠ってる状態が長く、
思考も明瞭でなくなってるのは知っていましたが、幾度か病院に行ったうちで一度だけ、
割と思考が明瞭な状態で会えたのが、言葉を交わせた最後でした。
もうすでに口から栄養を取る事が出来なくなっていたせいで、アゴ自体が萎縮してしまっていた為、
言葉自体は不明瞭極まりましたが、それでも何となく解りましたし、解らない時は素直に
「ごめんね、わかんないや」と言い、僕と弟は元気でやってると伝えると肯いていました。

その後どんどん眠りの状態が長くなっていって、合併症の併発なども聞いていましたから、
いつしか僕の中でも覚悟の様なものが出来ていたのでしょう。親類全員がそうだったと思います。
もしかしたら、それは家族に対して悲しみが少しでも軽くなる様、空の上の方と祖母が相談して、
ゆっくり時間をかけて慣らしてくれてたのかも知れないなぁ、と今は思ったりします。

僕は決して出来の良い孫ではありませんでしたが、祖母にとっては初孫でしたから、
祖母の解らないジャンルに進んだ事も重なって、おそらく過大評価をしていた様に思います。
それは僕も大人になるにつれ解ってきましたし、敢えて崩そうとも思いませんでした。
僕は結局、描いた作品のほとんどを祖母に見せる事はありませんでした。
もちろんエロ漫画を描いてる事は僕にとって、何ら恥じるものでもないのですが、
何せ世代が世代だけに、どんなに説明しようが理解出来ないのは解りきっていたからです。
特に激しいタッチの物やエログロナンセンスには拒否感があった様に思えます。
子供の時分にたまたま持っていた手塚治虫の「ドンドラキュラ」の1巻をチラと見て、
「そんな怖い物はよう見ないよ」と言っていたのを思い出します。
そのレベルでそうですから、敢えてショックを与える事もないと僕はずっと思ってました。

三年ほど前に、何か最近仕事で描いた物を見たいから持って来てと祖母に言われた事がありました。
それ以前に一般誌で何か描いたり出した時には、チョロチョロと持参はしていたのです。
ちなみに「あんたの描く物はよく解らない」というのが祖母を含めた親類の感想ですw
そういった物からはもう随分経ってましたし、ここしばらくは漫画はエロばかりでした。
しかし幸いな事にライトノベルという俗称が固定化する以前から、
文庫小説の表紙や挿絵を当時はよく描いていましたので、延べ冊数にすると結構な量になるそれや、
開発に携わったPS2のゲームなどを見せた時には、安心した様な顔をしていたのは、
死期云々とは考えたくはなく、初孫の行末を心配しての事だったのでしょう。

亡くなった日に通夜を身内で済ませ、12月の1日には荼毘に付しました。
所謂おくりびとに死に化粧を施していただき、棺の中の祖母は血色良く、まるで安らかに眠ってる様でした。
萎縮して入れ歯も入らなくなってしまっていたアゴがちゃんとしていたので、
母にそれとなく聞くと「あれは綿を詰めてんのよ」との事。なるほど、それなら焼いても大丈夫だね。
遺骨になってしまった姿を見て、ようやく何か僕の中で吹っ切れたというか、
本当に「居なくなってしまった」という実感と共に、悲しいなりに納得をしました。
これはミチの時もそうでしたが、人間こんな所でも「見た目が大事」という事を思い知らされます。

祖母の菩提寺は静岡でしたから、2日には家族で遺骨を持って新幹線で向かいました。
考えてみると、母と一緒に新幹線に乗るなんて25年以上振りではないでしょうか。
お寺で祖父方の親類も加わって葬儀を執り行ない、その後祖母の実家を訪れました。
納骨はまた後日となり、遺骨となった祖母はそのまま帰って来て、今は叔父の家にしばらく逗留しているのです。

祖母は生前、人生などというものは振り返ってみて、まぁ上々だって言えればいい、と言っていました。
容態が急変して、病院から連絡を受けた母が駆けつけたのですが、間に合わなかったそうです。
僕は結局、父方母方双方の祖父母の死目に会う事が出来ませんでした。
もしも最期に言葉が交わせるなら、僕は祖母に人生が上々だったか聞きたかった。
そうであって欲しいですし、子供4人孫7人を直接的間接的に育て、多くの友人も居た祖母ですから、
きっと満足のいく人生だったんじゃないかなぁと、今は確信しています。

それでもどうしても僕は時々、フッと思ってしまうのです。
おばあちゃん、上々だったかい?と。

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